現在日本体育大学の4年生で、ネクスト大谷翔平と称され、大学野球で二刀流選手として活躍されている矢澤宏太選手。次のプロ野球ドラフト会議2022において、ドラフト1位指名が有力視されていますが、現在に至るまでどのような経歴を辿って来たのか触れてみたいと思います。
矢澤宏太の町田シニア時代
矢澤宏太選手は地元の野球チームである「町田シニア」に年齢は5歳のときに所属し野球を始めたのがきっかけとなります。町田リトルシニアは1976年に発足した中学生硬式野球チームになり2022年現在も活動をしており、甲子園出場した選手も10人以上は排出しています。例えば、光永大輔選手、森田博貴選手、松本慎之介選手などです。
町田シニア時代は投手兼外野手で関東大会まで出場した経歴があるようです。町田シニアは硬式野球チームとしても実力があり、その中で二刀流の才能の片鱗が見え始めていた、矢澤宏太選手。おそらく幼いときから野球選手になるという目標に練習・努力をしてきたことに間違いなさそうですね。
矢澤宏太の忠生中学校時代
小学生の卒業アルバムには「プロ野球選手」と書くほどの野球少年。中学校になっても野球は勿論続けていました。矢澤選手が通っていたのは東京都町田市にある町田市立忠生中学校の出身です。中学校の部活の野球部では無く、先述した町田シニアに所属し活動をしていたようです。
町田シニアと同じリーグには、北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手が所属していた調布シニアがいて試合をした事があるそうです。リトルリーグから活躍していた清宮選手に憧れを抱いていたようです。また自前の左腕から投げられる速球も体格も鍛えられ上がっていたようです。
矢澤宏太の藤嶺藤沢高校時代
高校は神奈川県藤沢市にある、藤嶺学園藤沢高等学校に進学。激戦区の神奈川県において、藤嶺学園藤沢高等学校は1985年に甲子園出場が1度あります。矢澤選手は1年生春から背番号11で外野手として出場し、秋からはエース。2年生秋からは3番打者でセンター兼投手としてチームの主軸を担う存在になりました。
ピッチャーとして、左投げで高校時代の最高球速149kmと既にかなりの速球スピードです。球の変化球の技術も身に着けていき徐々にプロの技を身に着け始めていました。打者としても高校通算本塁打32本の記録を持っていて、ネクスト大谷の片鱗ができています。
矢澤宏太の経歴成績と甲子園出場は?
藤嶺藤沢高校時代は、1年生の夏は4回戦で鎌倉学園に敗退。2年生の夏は1回戦で桜丘に敗退。3年生の夏は甲子園が第100回記念大会で神奈川県は2校出場になり南神奈川に割り振りされ準々決勝で横浜創学館に敗退しベスト8でした。高校での最高成績は、高校2年生秋の神奈川県大会と高校3年生の夏の神奈川県大会(南神奈川地区)のベスト8。
甲子園出場を果たすことは出来ませんでした。やはり激戦区神奈川県の大会を勝ち抜くというのはかなり大変なことだと分かります。甲子園出場はならなかったものの、投打で存在感を示し、高校時代からも注目の選手でありながら、3年生の時にプロ志望届を提出しましたが、残念ながら指名がありませんでした。
2018年のドラフトで指名された注目の選手は、この年甲子園で活躍した大阪桐蔭高校の根尾昴選手(中日ドラゴンズ)、藤原恭大選手(千葉ロッテマリーンズ)、秋田から金農旋風を巻き起こした、金足農業高校吉田輝星選手(北海道日本ハムファイターズ)、報徳学園の小園海斗選手(広島東洋カープ)がいました。
ドラフト指名されなかったその後は、日本体育大学に進学。1年春から首都大学リーグにデビュー。秋には1番センターとして打率.286 2本塁打 7打点の活躍。投手としてもデビューし2試合登板。2年秋では打率.368を記録し、外野手でベストナインを初受賞し、さらに投手としても初勝利を挙げた。3年春は投手で5試合3勝2敗 防御率0.90 秋は7試合3勝2敗 防御率2.00で投手部門のベストナインを初受賞し、二刀流として花咲くようになりました。
4年生でハーレムベースウィークの日本代表に選出され活躍し、ドラフト会議2022で4年前に叶わなかったプロ野球の道へ向かっているところです。
まとめ
- 矢澤宏太選手は中学のシニアから二刀流の素質があり、投打とも高い能力を発揮している
- 高校時代も150km近い球速と32本のホームランで、プロ注目の選手であったが、甲子園出場はならず、ドラフト指名もされなかった
- 大学になり二刀流が開花され、首都大学リーグで活躍し2022年のドラフト指名の有力候補になっている
是非、ドラフト2022では1位指名でプロ野球選手として活躍して欲しいですね!